豊富村 (千葉県)
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とよとみむら 豊富村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 豊富村→船橋市 |
現在の自治体 | 船橋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 千葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 22.53 km2 |
隣接自治体 | 船橋市、千葉郡二宮町、大和田町、睦村、印旛郡白井村 |
豊富村役場 | |
所在地 | 千葉県千葉郡豊富村 |
座標 | 北緯35度45分42秒 東経140度03分57秒 / 北緯35.76161度 東経140.06578度座標: 北緯35度45分42秒 東経140度03分57秒 / 北緯35.76161度 東経140.06578度 |
ウィキプロジェクト |
豊富村(とよとみむら)は、千葉県千葉郡にかつて存在した村である。1954年(昭和29年)4月1日に船橋市へ編入され廃止となった。
現在の船橋市北部地域に当たる(地域「豊富町」が現存する)。
概要
[編集]1889年(明治22年)に楠ヶ山村、大穴村、坪井村、古和釜村、金堀村、神保新田、八木ヶ谷村、大神保村、小室村、小野田村、車方村、行々林村の12村が合併して誕生したが、神保内で金堀台を1つに数え、十余り3地区の意味で「豊富」の字を当てたといわれている。豊富村内では、印旛郡白井村(白井町を経て現在の白井市)や千葉郡八千代町(現・八千代市)との合併を望む声があったが、1954年(昭和29年)に船橋市に編入された。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1889年(明治22年) 楠ヶ山村、大穴村、坪井村、古和釜村、金堀村、八木ヶ谷村、大神保村、小室村、小野田村、車方村、行々林村および神保新田の大部分(現・八千代市島田台を除く。1955年に中心部が豊富町と神保町に、残部が大神保町・小室町・小野田町・車方町に編入)が合併し、豊富村が誕生。
- 1940年(昭和15年) 隣組強化法によって部落会・隣組などが組織。
- 1954年(昭和29年) 船橋市に吸収合併。村制が廃止され、現在の船橋市豊富町となる。
地域
[編集]概説
[編集]千葉郡の中でも北部に位置し、白井など印旛郡地域との関係も深かった。なお、小室や鈴身のように豊富村の各村落は、古くから成立した集落がほとんどで、自立した村社会を形成している場合が多かった。
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人物
[編集]歴代村長
[編集]- 歴代村長
- 初代 豊田三郎 - 明治22年〜明治23年4月
- 第2代 積田佐左衛門 - 明治23年5月〜明治26年9月(小野田)
- 第3代 斎藤信三郎 - 明治26年10月〜明治26年11月(大穴)
- 第4代 木村要助 - 明治26年12月〜明治29年11月(神保新田)
- 第5代 角瀬善之助 - 明治29年12月〜明治34年4月
- 第6代 白井園五郎 - 明治34年5月〜明治35年8月(神保新田)
- 第7代 飯島頼之助 - 明治35年8月〜昭和39年5月(金堀)
- 第8代 積田佐左衛門 - 明治39年6月〜明治44年6月(小野田)
- 第9代 泉對妻次郎 - 明治44年8月〜大正4年8月
- 第10代 飯島頼之助 - 大正4年8月〜大正4年11月
- 第11代 斎藤九助 - 大正4年12月〜大正5年2月
- 第12代 吉橋富蔵 - 大正5年3月〜大正7年1月
- 第13代 田口政治郎 - 大正11年5月〜大正12年4月
- 第14代 斎藤九助 - 昭和2年8月〜昭和6年8月
- 第15代 田口政治郎 - 昭和6年10月〜昭和8年1月
- 第16代 藤代清郎 - 昭和8年7月〜(古和釜)
- 第?代 湯浅良輔 - (車方)
歴代助役
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著名な出身者
[編集]村内の主な組織
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]- 中心となる駅
- 中心となる鉄道はなく、中心となる駅は存在しない。鉄道を利用する場合には、省線津田沼駅か船橋駅を利用していた。病院等は津田沼周辺を利用[要出典]。
- なお、現在は旧豊富村域北部に北総鉄道北総線小室駅が、南部に東葉高速鉄道東葉高速線船橋日大前駅があるが、豊富村時代にはいずれも駅・路線とも未開業。
- 軍用鉄道 - 1945年廃線
- 鉄道第2連隊練習路線(千葉- 津田沼 - 習志野原・松戸) - 南部(現在の船橋市高根台付近)で一部の土地が接する。
道路
[編集]戦前までの街道交通の主は、馬か徒歩、人力車、自転車(自動自転車も含む)が主で、物資輸送の場合は、荷馬車や牛車、大八車が使用された。道は狭く、舗装もほとんどされていなかった。
村内の主な施設・機関
[編集]村の施設
[編集]- 豊富村役場(神保新田)
国の施設
[編集]- 陸軍習志野錬兵場
治安施設
[編集]警察署及び分署はなく、大和田分署、二宮分署の管轄を経て船橋警察署の管轄となり、駐在1名が派遣されていた。
教育施設
[編集]昭和29年2月調査
宗教施設
[編集]観光
[編集]名所・遺跡
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文化財(旧豊富村内)
[編集]- 市指定文化財
- 石造自休大徳坐像(有彫)(古和釜町)
- 木造毘沙門天立像(有彫)(大神保町)
- 板碑 (弘安9年7月15日在銘)(有考)(大神保町)
- 神保ばやし(無民)(神保町)
産業
[編集]村々は山林と農地に囲まれ、商工を本業とする者は少なく、一般に農業に従事していた。
産物
[編集]主に梨、落花生、ぶどうの生産が盛んであった。
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豊富村を舞台にした作品
[編集]民話
[編集]- 力持ち平右衛門(小室)
- 遁走(小室)
- 鎌倉道の草刈り(小室)
- 力くらべ(小室)
- 長兵衛山の小割り(小室)
- 質蔵で踊る獅子(小室)
- 狐の最後っ屁(神保新田)
- 胡瓜を嫌う天王様(神保新田)
- 吉橋兄弟の悲劇(楠ヶ山)
- ピッタ塚のいわれ(金堀)
- 牧の掟(古和釜)
- 坪井の雨降田(坪井)
- 有り難い乳清水(坪井)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 船橋市史編さん委員会『船橋市史 資料編五』、1984年発行
- 神尾武則『船橋市史研究2-船橋市における行政区域の変遷』、1987年発行
- 村上昭三、船橋の民話、1993年発行
- 船橋郷土資料館『中世の船橋〜掘る・読む・訪ねる〜』、2002年発行
- 船橋市史談会『ふるさとの地名(改訂版) - 船橋市の地名を探る-』、2002年
- 河口洋一『船橋市5千一人の群像-明治から平成 まちの歩みと人』、2005年初版