コンテンツにスキップ

豊富村 (千葉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とよとみむら
豊富村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 編入合併
豊富村船橋市
現在の自治体 船橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
千葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 22.53 km2
隣接自治体 船橋市、千葉郡二宮町大和田町睦村、印旛郡白井村
豊富村役場
所在地 千葉県千葉郡豊富村
座標 北緯35度45分42秒 東経140度03分57秒 / 北緯35.76161度 東経140.06578度 / 35.76161; 140.06578 (豊富村)座標: 北緯35度45分42秒 東経140度03分57秒 / 北緯35.76161度 東経140.06578度 / 35.76161; 140.06578 (豊富村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

豊富村(とよとみむら)は、千葉県千葉郡にかつて存在した村である。1954年昭和29年)4月1日船橋市へ編入され廃止となった。

現在の船橋市北部地域に当たる(地域「豊富町」が現存する)。

概要

[編集]

1889年明治22年)に楠ヶ山村、大穴村、坪井村、古和釜村、金堀村、神保新田、八木ヶ谷村、大神保村、小室村、小野田村、車方村、行々林村の12村が合併して誕生したが、神保内で金堀台を1つに数え、十余り3地区の意味で「豊富」の字を当てたといわれている。豊富村内では、印旛郡白井村(白井町を経て現在の白井市)や千葉郡八千代町(現・八千代市)との合併を望む声があったが、1954年(昭和29年)に船橋市に編入された。

歴史

[編集]

年表

[編集]
  • 1889年(明治22年) 楠ヶ山村、大穴村、坪井村、古和釜村、金堀村、八木ヶ谷村、大神保村、小室村、小野田村、車方村、行々林村および神保新田の大部分(現・八千代市島田台を除く。1955年に中心部が豊富町と神保町に、残部が大神保町・小室町・小野田町・車方町に編入)が合併し、豊富村が誕生。
  • 1940年昭和15年) 隣組強化法によって部落会隣組などが組織。
  • 1954年(昭和29年) 船橋市に吸収合併。村制が廃止され、現在の船橋市豊富町となる。

地域

[編集]

概説

[編集]

千葉郡の中でも北部に位置し、白井など印旛郡地域との関係も深かった。なお、小室や鈴身のように豊富村の各村落は、古くから成立した集落がほとんどで、自立した村社会を形成している場合が多かった。

人物

[編集]

歴代村長

[編集]
歴代村長
  • 初代 豊田三郎 - 明治22年〜明治23年4月
  • 第2代 積田佐左衛門 - 明治23年5月〜明治26年9月(小野田)
  • 第3代 斎藤信三郎 - 明治26年10月〜明治26年11月(大穴)
  • 第4代 木村要助 - 明治26年12月〜明治29年11月(神保新田)
  • 第5代 角瀬善之助 - 明治29年12月〜明治34年4月
  • 第6代 白井園五郎 - 明治34年5月〜明治35年8月(神保新田)
  • 第7代 飯島頼之助 - 明治35年8月〜昭和39年5月(金堀)
  • 第8代 積田佐左衛門 - 明治39年6月〜明治44年6月(小野田)
  • 第9代 泉對妻次郎 - 明治44年8月〜大正4年8月
  • 第10代 飯島頼之助 - 大正4年8月〜大正4年11月
  • 第11代 斎藤九助 - 大正4年12月〜大正5年2月
  • 第12代 吉橋富蔵 - 大正5年3月〜大正7年1月
  • 第13代 田口政治郎 - 大正11年5月〜大正12年4月
  • 第14代 斎藤九助 - 昭和2年8月〜昭和6年8月
  • 第15代 田口政治郎 - 昭和6年10月〜昭和8年1月
  • 第16代 藤代清郎 - 昭和8年7月〜(古和釜)
  • 第?代 湯浅良輔 - (車方)

歴代助役

[編集]

著名な出身者

[編集]

村内の主な組織

[編集]

交通

[編集]

鉄道

[編集]
中心となる駅
軍用鉄道 - 1945年廃線
  • 鉄道第2連隊練習路線(千葉- 津田沼 - 習志野原・松戸) - 南部(現在の船橋市高根台付近)で一部の土地が接する。

道路

[編集]

戦前までの街道交通の主は、徒歩人力車自転車(自動自転車も含む)が主で、物資輸送の場合は、荷馬車牛車大八車が使用された。道は狭く、舗装もほとんどされていなかった。

村内の主な施設・機関

[編集]

村の施設

[編集]
  • 豊富村役場(神保新田)

国の施設

[編集]
  • 陸軍習志野錬兵場

治安施設

[編集]

警察署及び分署はなく、大和田分署、二宮分署の管轄を経て船橋警察署の管轄となり、駐在1名が派遣されていた。

教育施設

[編集]

昭和29年2月調査

宗教施設

[編集]

観光

[編集]

名所・遺跡

[編集]

文化財(旧豊富村内)

[編集]
県の指定文化財
市指定文化財

産業

[編集]

村々は山林農地に囲まれ、商工を本業とする者は少なく、一般に農業に従事していた。

産物

[編集]

主に梨、落花生、ぶどうの生産が盛んであった。

豊富村を舞台にした作品

[編集]

民話

[編集]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 船橋市史編さん委員会『船橋市史 資料編五』、1984年発行
  • 神尾武則『船橋市史研究2-船橋市における行政区域の変遷』、1987年発行
  • 村上昭三、船橋の民話、1993年発行
  • 船橋郷土資料館『中世の船橋〜掘る・読む・訪ねる〜』、2002年発行
  • 船橋市史談会『ふるさとの地名(改訂版) - 船橋市の地名を探る-』、2002年
  • 河口洋一『船橋市5千一人の群像-明治から平成 まちの歩みと人』、2005年初版